こんにちは、こんばんは、まこりん*です。
強く生きたいと願えば、自ずと運命は開けてくる。
私は2児の母であり、フルタイムで働くワーキングマザー。しかも母子家庭。
両親を早くに亡くし、田舎から出てきて、2人の姉は遠く離れて暮らしている。
所謂、頼れる親類などは近くにいない状況なのだ。
長男はるが年長さんの時に離婚も経験しており、現在、本当に頼れる人はママ友やシッターさんって感じ。
その後に十数年間務めた会社を辞め、2度の転職をしている。
はるが小学1年生になり、2学期を迎えた頃、はるの登校拒否が始まった。
幾度となく、はるの手を引き学校まで無理やり送り、先生には校門前まで出迎えてもらったこと数しれず。
その度に私は遅刻していた。
時には仕事を休まざるを得ない状態のこともあった。
当時の職場は女性が多く、しかも私より年上なのに独身女性。
なかなか理解してもらえなかった。
くそっ!!!あなた達に子育ての大変さの何が分かるんだ?!!!
その他にも原因はいろいろあったのだが、私は見切りをつけてその職場を後にした。
運良く拾ってもらったのは、外資系コンサルティングファームのBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)部門。
所謂、前の職場からすると外注する先のベンダーの立ち位置。
おまけにこれまた運も良く、前職に比べて福利厚生がそこまで充実していなかったが、それに匹敵、いや、それ以上の年収も頂ける形だった。
周りのママ友からはこんな大変な時(小1の壁、登校拒否)に転職しなくても…など言われたが、その時の私は希望に満ちていた。
それから数ヶ月後、3学期に入るタイミングで長男はるのことを思って引っ越しをして、転校までさせたのだ。
勿論、同じ認可保育園に通っていた次男しゅんしゅんも転園となり、待機児童の多い地域だったのもあって、転園先を探すのも一苦労だった。
年度途中ということもあり、定員が空いてる保育園などない。
そこでも私は運が良かったのだろうか、たまたま転勤で退園する児童がいるということでたった3ヶ月(2才児クラスまでしかない)だったが無認可保育園に入れたのだ。
働くために。。。
無認可保育園だから、保育料も半端なかったのだが。
仕方がなかった。
私が働かなくてどうやってこの子たちを育てていくのか。
そこでも長年付き合いのあったママ友と飲みの席で口論になったのだ。
なぜこんな時に、転職もして大変な上に転校させたからといって、うまくいくかどうか分からないのに、そんなに環境を変えてどうするの!!!、と。
小1の壁。。。。
確かに高かった。。。
でもね、やってみなきゃ分からないでしょ?そう思いませんか?
私が一番分かっている、どんなに大変なことなのか、でも何か変えないと変わらないと思ったの、その時は、本当に。
転校先は長男はるが通うサッカークラブのすぐ近くで、チームメイトも数名通っている学校だった。
サッカーが好きで、きっとクラスの友達よりもチームメイトの友達の子の方が仲が良かった。
その決断は正しかった。
最初は苦労したけど、すぐに学校にも慣れてくれて、学校に通うのもサッカークラブに通うのも楽になり、はるにとってはとても良い結果になったのだ。
結果的に私はママ友を失うことになったのだが。。。
地域も離れていたし、なんか喧嘩したままというかギクシャクした感じで引っ越していったから。
でも新しいところには新しい出会いがあるものである。
長男はるのサッカークラブのパパやママとも仲良くなっていった。
そして、フルタイムで働く私は、週5でベビーシッターを雇うほかに道はなかった。
そこでもいろんな人と出会うことになった。
それは私を助けてくれるだけでなく、子どもたちにもいい影響を与えてくれたのだ。
金銭的にはかなり苦しくなったのだけどね。
お給料が上がったと言っても、前職は借上げ社宅制度があって、かなりの住宅手当が出ていたので、
駅近で3人で住むにはちょっと広いくらいの2LDK、しかも分譲マンションの賃貸だったからキレイでセキュリティもちゃんとしていたところだったのだが。。
そこから、引っ越した先はすごく古くて狭いところだった。
保育費も高いし、シッター代も馬鹿にならない。
何のために私は働いているのだろうとさえ、思ったことは数しれない。
でも今思えば、私は強く逞しく生きていた。
希望に満ち溢れていた。
為せば成るなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり。
ママ友の反対を押し切って、転職やら、引っ越し、子どもたちの転校・転園をさせた私。
失ったものもあったかもしれないが、それでも今となっては私の決断は間違ってなかったと思ってる。
長男小学1年生、次男2歳児クラス、真冬のお正月を過ぎた頃に私は新しい土地にやってきた。
とは言っても、同じ区内で沿線が違うだけ。
はるの登校拒否は一体何が原因だったのか、今では分からない。
転校した先は同じサッカークラブのチームメイトがいて、特に仲が良かった友達と運良く同じクラスになった。
最初は行きたくない日もあったが、3学期に突然転校してきたはるをクラスのみんなが暖かく迎え入れてくれたのだ。
除々に学校に行くのも楽しくなって、休まなくなった。
環境が変われば、こうも違うものかと思い知らされた。
サッカークラブも近くなって、一人で送迎バスに乗らなくても、送り迎えしなくても自分で行ける距離だった。
サッカーは彼にとってもとても楽しくて大好きなスポーツだった。
何より仲間がいたからだ。
共通の夢や、向かう先が同じということは、より一層絆を強めてくれる。
以前の学校ではそのサッカーでさえ、なかなか通うことができなかったのに・・・。
しかもレギュラーメンバーの中に!!!
よく頑張ってたと思う、いろんな気持ちがあっただろうに。
あまり構って挙げられなかったけど、子どもはちゃんと自分の足で歩んでいるだな、って思う。
もう何もできない赤ちゃんではないんだな、と。
嬉しくもあり、ちょっと寂しい。。。
次男のしゅんしゅんはというと、無認可保育園に3ヶ月だけ。
2才児クラスまでしかない保育園だったからだ。
次に認可保育園を狙うにしても、もう締め切りは終わっている。
2次選考という手もあり、シングルマザーで点数は高いだろうが、厳しいだろう。
そして、何よりこの頃の私は、いっぱい夢というか、やりたいこと、子どもたちにやらせたいことが山ほどあったのだ。
長男はるが通うサッカークラブは、スポーツの盛んな幼稚園が運営している。
うちの子は外部生だったが、まだまだ1年生のときはその幼稚園出身の子の方が多かった。
そこで仲良くなったパパさん、ママさんにしゅんしゅんの性格はこの幼稚園に合ってると思うよ、と言われ、卒業記念のビデオを借りて見せてもらった。
それはまさに私がやらせたいことだらけの内容だった。
めちゃくちゃ興奮したのを覚えている!!
スポーツをいろいろやれることはもちろんのこと、お芋掘りや田植え、稲刈り、富士山登山、洞窟探検・・・自然に触れ合うことが盛り沢山だったのだ。
私と違って、東京生まれ東京育ちの都会っ子の子どもたち。
自然に触れ合わせることは自分でもできるが、シングルで男手もないし、なかなか色んなところ、遠いところへ連れて行ってあげるのはなかなかハードルが高かった。
それを幼稚園で学べるとなると、入れたくなる気持ちも分かりますかね?
早速、申込みをして面談もして、4月から入園することが決まったのだ。
でも、転園しても、保育料自体は安くなるのだが、それ以外の費用がバカ高いwww
おまけにシッター必須の私としては、余裕のある生活なんて、夢のまた夢。
でもその頃から考えていたことが1つだけあった。
それはマイホームを持つこと!!!
自分の夢でもあり、もしもの時のために子どもたちに何か残してあげたくて。
転職して1年も経たないうちから計画を立て始めた。
そんなんで住宅ローンが組めるのかって感じだったけれども。
でも何とかそれも叶い、小さな小さなお家だけど、住友林業さんで一戸建てを建てることに成功したのである。
夢のマイホームを手に入れるまでの詳細はこのブログで書き綴っているので、最初の方からいろいろ見ていただけると嬉しいです♪
為せば成るなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり
自分はシングルマザーで、周りの家庭とは違うって思い込んでしまうのもよくない。
子どもたちだって、よく母親の背中を見て、しっかり育ってくれている。
×××だから・・・・と人生諦めてしまってはいけない。
常に挑戦し続ければ、叶うことだっていっぱいある。
何もしなければ、そこからは何も生まれて来ないのだから。
諦めないで。
諦めなければ、きっと明るい未来があなたを待っている。